タコあし電源第十一回本公演
【阪神淡路大震災 95.1.17、衝撃の事実。
  2004年7月28日(水)〜8月3日(火)
       中野・劇場MOMOにて


鉄筋ビル、高速道路が真横に倒れた。
家は最初の数秒でペシャンコになった。
ガス管が千切れ、すぐに火災が発生した。
水道管が千切れ、火災は止めようがなかった。
未明の暗闇、1月の極寒、焼ける自宅、
埋まったままの家族……。
紙幣で買える物はなく、
公衆電話の10円玉だけが意味を持った。
衣類、食事、水、住宅、財産、電気、交通、
そして故郷の景色を失い、
数万人が体育館で半年以上過ごした。
テレビや新聞でしか被災地を知らない者が、
この状況を頭で想像するのは不可能だ。
ゆえに、
追悼の意を込めて演劇として再構築する。

……あなたは、自分の車で死体を運んだことありますか?



名称兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)
震源地淡路島北緯34度36分東経135度03分
発生1995年1月17日午前5時46分
マグニチュード7.2、震度7

死者6,433人(いまだ不確定)
行方不明者3人
重軽傷者者4万3,792人
避難者のべ約35万人
避難者最大時31万9,638人
避難所1,239カ所
全半壊家屋27万4,181棟
焼失家屋約7,500棟
同時多発火災約290カ所
断水130万世帯
停電260万戸
ガス停止86万世帯
電話不通30万回線
仮設住宅数3万2,346戸
被害額約9兆〜12兆円
それでも空港を作る神戸市。

神戸出身の作家として(初演時の当日パンフより)

 やっとここまで来られた、というのが今のホンネである。震災で実家が壊滅し、更地になった剥き出しの地面を見た時から僕の中で何かが変わり始めていた。日本には無常の思想があるが、まさにそんな風だった。両親が苦心してなんとか建てた家が、何年も通った通学路が、故郷が、思い出が、友人が、恋人が、たった20秒で消失するのである。
 人生とはそんなものだ、と強く思った22歳の僕は、壊れた物差しを直すように人生設計をがらりと変えた。死ぬまでいるつもりだった大学を修士でドロップアウトし、若さゆえか儚い夢にうつつを抜かすようになった。その当時は将来についてよく両親と口論になったが、母の怒り方や悲しみ方が震災前と違っていたことを覚えている。唇を噛んで泣きながら悔しそうに怒る母も、壊れた物差しをどう修復していいのか分からずにいたのだと思う。
 あれから9年半。雑誌編集者時代から何かに付け震災を取り上げたり、脚本家になってからもドラマに織り込んだりしてきた。けれどそれは、地震直後に故郷を救いに行かなかった自責の念から来る罪滅ぼしに過ぎなかった。どこか正面を避けて通っているような、何とも云えぬ居心地の悪さを感じていた。理由は一つ。「お前は一体、震災の何を知ってるのだ」と問いただされるのがとても恐かったからだ。
 そんな中、この秋からNHKで震災のドラマが始まることを知った僕は、正直焦った。このままでいいのか? お前はそうやって今後もずっと震災から逃げて生きていくのか? 他人が書いた震災ドラマをお前はテレビの前で指をくわえて眺めるつもりなのか?
 「日ノ丸レストラン」上演中、僕はシアターVアカサカの入口階段でとうとう決心した。「表現手段を持つ人間がその手段を駆使しないで何が表現者だ。やれる人間がやれることをやるべきだ」。こうして僕は、やっと真正面から震災に取り組むことができるようになった。
 この戯曲は、構想、取材を含めて5ヶ月かけて書かれた。こんなにかかったのは初めてだ(普段は3週間程度)。内容は、個人的な作品にすると今までと変わらない気がしたので、私情を一切排除した。僕の代弁者のような登場人物は一人もいない。どこでも誰でも上演できるように、あくまで客観的に、演劇作品として震災が描かれている。断っておくが、描かれていることそのものが事実ではない。事実を一旦バラバラにし、作品として成立するように再構築されている。それを踏まえて言えば、この作品に描かれていることはすべて事実である。それも圧倒的な事実ばかりだ。
 「歴史的な出来事の意味を深く認識するには、『作品』が必要である。多くのメディアが震災のレポートをしてきたが、それらは事実を伝える意味はあったが、本当に掘り下げた作品というのは、未だ誰も描ききれていないのではないか」と、僕をインタビューしてくれた震災体験者が言ってくれた。
 この『作品』は阪神淡路大震災を真っ向から描いた、世界で最初のドラマである。箇条書きで事実を並べるだけの「報道」ではない。浅はかで凡庸な意見を茶の間に垂れ流すワイド番組でもない。
 先日、親友の家族が新潟の洪水で被災した。真夜中の電話口で彼はこう言った「頭にオニギリを載っけて、つま先立ちで口まで水に浸かりながら歩いた。浸水した家の中は糞尿臭い」。メディアからは伝わってこない事実がいかにたくさんあるのか、あらためて思い知らされた。
 ……と、ここまでこんなことを書いておきながら、僕はこの作品で「震災とはこういうものだ」と押しつける気はない。ただ、「人間とはこういうものだ」と伝えたいだけだ。人間を描くことはテーマや内容に関係なく、演劇が担う役割なのだと信じるからだ。ご来場の皆様にも、純粋に演劇として楽しんでいただければ、と願う。
 最後に、上演を決心させてくれた神戸新聞社の壱田和華子記者、森田空海監督、出演者の高橋幸生といぬいりさこ、タコあし電源の劇団員、その他大勢の被災した友人、両親にこの場を借りて感謝する。(岡本貴也 劇団タコあし電源主宰)




■10年目の真実。(当サイトでの告知文)
 さて、この夏、本公演を打つことにあいなりました。何年も封印していて、去年から本格的に悩み続けていたんですが、とうとう決心いたしました。正直とっても恐いですが、ここでやらないと一生後悔したままになりそうでしたので、ハラを決めた次第です。
 地震当時、私は東京にいて大学の四年生でした。そしてインフルエンザでの高熱と大学院進学準備、卒業論文、卒業試験(追試)などを言い訳にして、すぐに神戸に帰ることをしませんでした。記憶が曖昧なんですが、初めて帰ったのは三月だった気がします。しかも帰ったからといってテキパキ働くわけでもなく、ボランティアに参加するわけでもなく、歩いて五分ほどの小学校や中学校には被災者がまだまだいたのにも関わらず、ダラダラと親の世話になっていました。そしてすぐに東京へと逃げるように戻ったような気がします。
 同年の夏休みも帰神したんですが(その時は我が家は取り壊しのため西宮に避難しておりました)、大阪に行ったり、被災地を物見遊山で歩いたりしていました。今振り返れば、地震の瞬間に立ち会えなかった負い目と故郷の景色を不可逆的に失った悲しみとで、真っ直ぐに震災と立ち向かえなかったんだろうと思います。震災の現実が恐くて逃げていたんですね。すべてが斜めに傾いた街から目をそらすと、六甲山が妙に青かったのを覚えています。
 しかし、震災があったからこそ私は作家になったのだとも思っています。こう書くとちょっとカッコつけてるみたいですが、実際、父と母が苦労して建てた家が瓦礫と化すのを目の当たりにすると、真っ当な職業には就きたくなくなるもんです。
 前置きがやたら長くなってしまいました。来年は震災十周年です。だから今後こういう企画があちらこちらで立ち上がるでしょう。でも、だからこそ、私は神戸で十八年育った作家として、誰よりも先にこのテーマを「正面から」扱うべきだと(勝手ながら)思うのです。これまで震災に正面からぶつかれなかった自責の念もあります。私自身の震災体験の欠けた部分を埋めたいという欲求もあります。売名行為だと罵る人もいるかもしれません。それでも私たちは、震災とはこういうものなのだという「事実」を、何よりも皆様に知ってもらいたいという思いで公演を打つに至ったのです。
 今公演は、事実を元に構築されています。ですので被災者の方にはつまらないというか、見たくないものかもしれません。物語性もありません(なのでタイトルをストレートにしました)。それでももし「観てみようかな」という方がいらっしゃったなら、ぜひ劇場に足を運んでみて下さい。
 出演者二十五人、スタッフ一同、心よりお待ち申し上げております。

■キャスト
大浦さやか。
松井和美。
石坂いつか。
小川直美。
中村利裕。
志田健治(釧路沖地震被災者)。
森本展弘。
上村敬治。

高橋幸生(神戸出身)。
いぬいりさこ(神戸出身)。
井上亜紀(伊丹出身)。
井上由紀(伊丹出身)。
上原侑子(大阪出身)。

前田宏(くろいぬパレード)。
横江泰宣。
小笠原真愛。
小坂理紗子。
大谷味海。
森本耕平。
岩淵侑真(子役/劇団しゃぼん玉)。
間宮知子(声の出演)。
本多彩子。

菅野久夫。

鎌坂誠 from FUNGUS (神戸出身)


■スタッフ
脚本・演出=岡本貴也(神戸出身)
照明/藤田典子
音響/玖島博喜
舞台美術/松本わかこ
舞台監督/和田豊、太刀岡正
演出補/園尾直哉
制作/SUI

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