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■31日(夕)小千谷駅、そして東京へ
腹が減ったので、あらかじめ買ってあった弁当を食べに小千谷駅へ行く。駅は完全に倒壊して封鎖され、列車は走っていない。
この辺りは商店街もある。建物が密集している地域は倒壊が激しい。神戸と新潟の境界線のような地域だと感じる。
緑色の紙は、中に入っても良い建物。黄色は注意して入れ。赤色は立ち入り禁止である。応急処置としてこのような張り紙がなされている。右のバス停は余震で倒れたのだろう。これからこの地域は、こんな景色が日常となっていく。
近藤家に一旦、近藤を送る。家族との団らんを提供し、残った我々は長岡のバーへ。新潟はなぜか「パインジュース」がどこの店にもある。関西でいうレモンスカッシュみたいなものか。バーはオシャレな内装だったが、テレビには震災ニュースが流れていた。
再び近藤家に近藤を迎えに行くと、一家総出で見送りをしてくれる。札幌テレビでアナウンサーをしている妹の一人もさっき新潟に着き、見送りに。久しぶりに会う。しゃべり方がすっかり大人になっていて驚く。手を前に組むのはアナウンサーの癖か。発声が腹式になってるぞ。
それにしても、家族が自宅に揃うというのがなんと素晴らしいことなのか。あらためて思い知らされる。
カワちゃんを拾う。美容室のカワママにお土産をいただく。申し訳なくて恐縮。しかしコシヒカリだ。感動。すぐ目の前が避難所だということを忘れてしまい、しばし談笑。
帰路は国道353号が暗くて険しい山道で危険なので、長岡JCTから北陸道で柿崎インターまで西へ行き、そこから平坦な道で南下、国道253号に出て東へ、関越道を目指すという作戦。
往路と同じく六日町インターから関越道に乗る。しかし乗った途端、石打塩沢SAで全員が突如ダウン。誰彼なしに2時間ほど車中で爆睡。相当疲れが溜まっている。放っておけば朝まで寝てそうだったが、イヌイに起こされ、再び関越道を上る。ここまで運転してきた僕は熟睡(言い訳として、レンタカーの保険も入ってなかったし、被災地で事故を起こすほど迷惑な行為はないので、ずっと緊張していたのだ)。その点、高橋は一人で全部運転していたので、大変だったと思う。えらい。
関越道練馬インターで別れる。僕はどうしても起きられず、家まで送ってもらう。最悪。ごめんなさい。ありがとう。
その後、レンタカーは渋谷で11時頃に車庫入り。不良ボランティアの旅は、ここに一旦終了する。
余った物資は、
近藤が後日仕分けを終えたとの報告あり。
彼が各市町村に問い合わせたところ、
「ほとんど間に合ってる状態ですので……。ありがとうございます」
と、気遣われながら丁寧に対応してもらったそうだ。疲れてるだろうに。
そんな中、震度7だった川口町が
「Tシャツを肌着として使っていいですか?」
と言ってくれたので、ソニーのノベルティを500枚ほど発送する、とのことだ。
……………………
物資を提供してくれた皆さん、本当にありがとうございました。
余ってしまいましたが、それはそれで勘弁して下さい。
もちろん震災もボランティアもこれで終わったわけではありません。被災地の皆さん、復興に向けて強く生きて下さい。これを最後まで読んで下さった皆さん、新潟三条の洪水、台風23号はもとより、神戸の震災もまだまだ終わらぬこの世の中で、それぞれができること、なすべきこと、考えることは何なのか、今一度思い巡らしてみて下さいな。
(写真:左から近藤、いぬい、高橋、カワちゃん。帰路、練馬インターにて)
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