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■31日(16時)小千谷市ボランティアセンター
途中、目に付いた避難所に声をかけつつ、小千谷市ボランティアセンターに戻る。
右写真は、昨日今日とで開催される予定だった、錦鯉の品評会の看板だ。
到着し、ニーズ受付に片貝スポーツセンターの事情を話す。
「え? 床が土なんですか?」
高校生くらいの青年が担当してくれた。
「断熱材か何かあればすぐに持っていって下さい」
「分かりました。早急に対応します」
ホッと一息。あとは任せよう。僕らは東京に帰らねばならない。
ボランティア活動は16時に終わる。みな報告書を出し、談笑する。ボランティアセンターのテント下には大量の段ボールが並ぶ。
「みなさん、好きなだけ持って帰って下さい」
段ボールの中味は、すべて菓子パンである。救援物資の菓子パンがあり余っているのだ。さすがに地震から一週間、甘いパンばかりでは胸が悪くなる。神戸でも何ヶ月にも渡って同じ弁当(4種類の繰り返し)が支給され、問題になった。
しかし、こういった問題提起は、被災者からは起こらない。理由は簡単だ。避難者は世間様にお世話になっている身、文句など言えようはずもないからだ。食えるだけ有り難い、とみな口をつぐむのである。病人もしかり。そうやって避難所で人は死んでいく。せっかく地震で生き残ったのに。
テントの奥でリーダー格の人が怒鳴っているのが聞こえる。
「長岡でボランティアを締め切ったのなら、なぜ小千谷にその人材を回さないんだ。こっちは全然足りないんだ。役所同士の気遣いなんか知るかよ!」
小千谷は、人が足りていなかったのか……。僕の目には明らかに余っていたように見えた。しかし僕が見たのは表面上のことだったのだろうなと思う。あれだけの人間が避難している場所だ。それに明日からは平日。ボランティア人口は一気に減る。被災地はこれからが本当の闘いだ。だんだん世間の興味が薄れ、物資も減り、孤独に復興へと向かう。
見た目に家屋が倒壊していなくても、10万人もの人間が避難しているのだ(神戸はあれだけの被害と人口にも関わらず、避難は30万人。このポイントこそが新潟との最大の違いであり、考えるべき問題を含む点でもあると思う)。
さらには村が雨の池に沈没し、余震も続く。最近、最年少の知事が当選し、市町村の合併が行われるなど行政的にも不安定な被災地。都市からの交通が悪く、道路もまだ寸断されたまま……。
震災初期の対応はめざましいものがあった。だが、これからは新潟中越地震ならではの対応が求められる時期に入る。関係者もメディアも、その点に注目・注力していかねばならないだろう。
友人の新聞記者が言っていた。
「後輩の報道マンが被災地で取材することがなくて暇をこいている。だったら水ぐらい運べっつの」
その通りである。僕もそう思う。が、1つだけ間違っている。中越では神戸と違って水の運搬という作業はほとんどない。細かいディテールまでもが神戸とまったく違うのである。これは僕も行ってみるまで分からなかったことだ。
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