■31日(昼)小千谷市ボランティアセンター
まず、ボランティア受付を済ます。白いガムテープにマジックで名前を書く。そのガムテープを体に貼り付ける。僕は車持参なので、車種も書く。

次に、隣のテーブルへ移動。名前、住所、連絡先など書く。ここで自動的にボランティア保険に加入されると思われる(明記されていない)。保険料は対策本部が負担する。
紙には、希望の仕事内容などを書く欄もある。僕は何も思いつかなかったので「運搬」と書いた。「マッサージ」とか書けばよかったと後で後悔した。こう見えてもマッサージは上手いのだ。それに、マッサージとかすれば被災者と直接会話ができるし、とか思ってね。アマチュアだけど。
その紙以外にもう一枚、付箋にも名前を書く。これはよくできたシステムだとあとで分かる。

そのまますぐ横に連れて行かれる。そこは車を持っている人たち専用の仕事発注場所だ。その隣にはバイク専用の場所とかがある。

天気は薄曇り。「新潟でいう晴れっていうのはこういう感じ。空が真っ青になることは滅多にない」そうだ。
日向は暑く、日陰は寒い。

丁度昼食時で、センター付近には結構な人が休憩していた。
なので、仕事ももうほとんどない状態だ。来るのが遅すぎたと反省する。今日は地震後初の土日の日曜。昨日からいた人やバイク隊は大活躍だが、車はすでに無用なようだ。僕らはリーダーらしき人物に倉庫に連れて行かれる。そのリーダーらしき人物が、さっき名前を書いた付箋を人数分持っている。付箋で誰がどこで仕事をしているかを管理するわけだ。そして最後には「ボランティア活動報告書」にその付箋を貼る。このことで、誰がどこにいたか、最後までいたか、などいろんなことが判明するわけだ。

倉庫は2つあった。1つは食料品専用の倉庫。僕らが連れて行かれたのは雑貨や毛布、衣料品、薬などが積まれた方の倉庫だった。倉庫といっても、パチンコ屋のガレージだ(写真一番下)。

ガレージにはうず高く物資が積まれている。要するに、余っている。
人気があるのは仮設トイレの消臭剤(そんな商品があるのだ)、台所用品、あとはまあ薬やカイロか。

救援物資はまずセンターで受付られ、倉庫へと運ばれてくる。倉庫へ来た物資を倉庫担当の我々が細かく仕分けして所定の場所に積み上げる。
何がいくつ来たかは一応メモってあるようだが、かなり混乱したメモで、無意味だと思った。数を把握してもしょうがないと感じた。大量にあるか、まったくないかのどちらかだからだ。イヌイはこのメモ係に任命される。

被災者は、「ニーズ受付」なる場所で欲しい物を申告する。それをセンターの人が紙に書いて、被災者に渡す。被災者はその紙を持って、倉庫に来る。
倉庫の我々はその紙に書いてある物を倉庫から持ってきて、被災者に渡す。そういうシステムだった。我々がシステムの1歯車になることでボランティアは成立するわけだ。
感想としては、我々が受け付けて渡すのではなく、倉庫内を被災者に実際に観てもらい、好きな物を持っていってもらう方が確かだと思う。被災者はここに何があるのか知らないのだから。そもそも、ここに来れば物資がもらえるということを、自宅や車で生活する被災者の皆さんは知っているのだろうか。

ボランティアの中には、山本五十六(長岡生まれ)の言葉を書いたTシャツを着ている学生が何人かいる。訊けば彼らは、学校の授業の一貫でボランティア活動しているらしい。担任の先生がバスを借りて、クラス総出で来たそうだ。素晴らしい授業だと思う。寝泊まりもバス。エコノミー症候群だけは気を付けて下さい。

しかし。どう見ても人数が多い。余ってる。というわけで、僕と近藤はイヌイと高橋を置いて倉庫からこっそり抜け出す。やっぱり不良ボランティアである。








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