■31日(朝)近藤家
余震。目覚める。煙草を吸う。体の節々が痛い。ビタミン剤を飲む。顔を洗う。近藤家は水もガスも電気も通っている。素晴らしい。そして、再び近藤ママが朝食を振る舞ってくれる。ここまで来ると開き直る。
「旨いっす」
米も水も全部が旨い。日曜日だ。

朝刊で情報収集。ラジオもしかり。今日はどこへ行こうか。昨日、結論が出ていないままだった。まずは近所のローソンへ。ローソン、普通に営業してんだもの。びっくらこいたさ。
しかし朝刊はどこも売り切れ。きっと平時の部数しか納品されていないのだろう。コンビニへの新聞配送部数くらい変更すればいいのに。ローソンよ!

「川口に行こう」
僕はそう提案した。しかし川口へ行くルートがない。

たまたま近藤の同級生とローソンで出くわす。彼にいろいろ情報を訊くが、川口へはなかなか行けないらしいという情報と、国道17号が通ったから行けるらしいという情報が錯綜する。
「じゃあ小千谷か」

いずれにせよ、長岡から川口を目指すと途中で小千谷を通る。我々は南へ向かった。

■31日(昼前)小千谷へ
国道を走る。南へ向かうに連れだんだん被害がひどくなってくる。電柱はすべてが斜めに傾き、家屋も時々だが倒壊している。
迂回路を通って信濃川を渡る時、左手に土砂崩れが見えた。あの救出劇があった現場だ。あの中にまだ長女の遺体が残っている。そう思うと、胸が締め付けられる。

そう言えば、昨日の昼食時に近藤ママから新潟日報の地震最初の号外を見せてもらった。一面にでかでかと写っていたのは、あの崩落現場だった。
「今になって思えば、この写真の中に生存者がいたのね」
近藤ママがそう呟いたのを思い出す。

橋を渡りきる頃、右側の土手には自衛隊の巨大なヘリが三機、待機しているのが見えた。国道沿いに小千谷(市役所)へ近づいていく。

だんだん対向車線が渋滞してくる。避難所や復興に向かう人々が目立つ。
そして右手にひときわ大きな建物が目に飛び込んでくる(上写真)。
「あれがテレビでよく見る、小千谷総合体育館だぜよ」
そのまま右折、体育館へと向かう。

体育館の周りは人でごった返している。報道、自衛隊、救急、ボランティア……。
体育館の敷地の外横に、ボランティアセンターを発見。ここも人でごった返していた。車を停めるところがなく、かなり奥の道路へ路上駐車。脇にある家は真横にひっくり返って倒壊していた。

ここで近藤が電話でいろいろ確認。川口町はボランティア受付を締め切ったことが分かる。
「よし、じゃあ今日はここで働こう」

>>>