■30日(19時頃)石坂小学校
近藤の最初のプランに、村松にある石坂小学校に行く、というのがあった。彼の友人が消防団に入っており、相当ひどい状況らしい、という情報が入っていたからだ。消防団は消防士ではないので彼らは別に仕事を持っている。なので彼らの仕事が終わる夕方以降に消防団が活動するということで、我々は最後に回ることにした。

着くと、駐車場は満車。ここも乗用車で寝泊まりする人が多く、体育館の中も相当な人で溢れているという。
消防団の青年たちは風吹きすさぶ屋外(かろうじて雨がしのげる場所)に毛布を敷いて寝ていた。何かあったときのために待機しているのだ。当然彼らも被災しているわけで、寒いのにすごいなと感動する。このように、若い人たちはたいてい地域で復興活動をしている。避難所に老人が多い理由の1つだと思う。

さっきの保育園で勢いづいた我々は、サッと主旨を説明し、残った荷物を体育館に運び入れる。僕が見た限り、牛乳が届いていたのはここだけだった。

長い廊下を抜け、体育館へと向かっていく。僕らは意気揚々たる思いで堂々と入っていく。が……。
そこに広がる光景は、まさに神戸の時のそれであった。広大な体育館にはものすごい人数が避難していた。そのほとんどが力尽きた老人たち、とろんとした目の女性、所狭しと並んだ布団、止まったままの壁時計、プライベートのない空間、少ないストーブ、人の臭い、消毒液と糞尿の臭い……。

僕らは被災地に来ている事をあらためて痛感させられる。いきおい、みな無口になる。思わずうつむく。胸が締め付けられる。

何人かが僕らに気付く。リーダーらしき人物がマイクを手に取る。彼の声が無力な体育館に響き渡る。
「今、東京から彼らが救援物資を持ってきてくれました。ココに並べますから、欲しい人は持っていって下さい。彼らは長岡と神戸から来ました」
一人だけ、拍手をする人がいた。
やめて下さい。
僕は心の中でそう叫ぶ。
みなの目線が痛い。

やがてお婆さんが2、3人、並べられた物資に近づいてくる。
「靴下ある?」
ない。
あれ?
ある!
なんで?
この体育館で余っていた救援物資も、いつの間にかテーブルに並べられている。

やがてポツポツと人が集まり始める。そしていつの間にか、たくさんの人が集まり、わあっと活気づく。
「これは若い人向けだね」
「子供服欲しかったのよ」
がめつい人、遠慮がちな人、いろんな人がいる。
その活気に、ホッと胸を撫で下ろす。

村山先輩が持ってきた生理用品の段ボールに、紙袋がドサッと入っているのを発見。生理用品をすべて紙袋にいれて並べる。すると、これまで誰も持っていかなかったのが、あっという間になくなってしまう。さすが阪神淡路大震災とサリン事件を体験した村山さんの物資である。友人の岩間さんもあらかじめ袋に入れておいてくれたようだ。女性ならではの気遣いだと感心。他にももちろん人気のある物資はたくさんある。提供して下さったみなさんの想像力の賜物である。

ものの数分で物資はほとんどなくなる。さらに、もともとそこに「自由に持っていって下さい」と置いてあった段ボールまで密かに追加されていて、それらも一気になくなっていく。さっきの保育園でもあったように、選ぶチャンスを作ること自体が重要なのだと、あらためて確信する。僕らの行動がそういう切っ掛けになれたのであれば嬉しい。

最後にまたリーダーがマイクを手に取る。
「代表の方、一言どうぞ」
近藤がマイクを握る。
「僕は長岡出身で、何かできないかと思って来ました。
 この3人も神戸出身で、東京の心ある友人たちから
 こうやって物資を預かってきました」
みたいな短い内容だったと思う。

体育館から一斉に拍手がわき上がった。
僕らは驚きとともにどうしていいか分からず、深々と頭を下げる。
そして口から出てきた言葉はなぜか
「ありがとうございました……」
だった。

こうして僕らは、泣きそうになりながら、体育館を後にした。

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