■30日(日没)越路町役場、ふたたび
もう一度、最初に行った越路町役場に行く。さっきの片貝小学校へ牛乳やお茶をなんとか持っていけないか、という交渉をするためだ。もちろんOKなら我々が運ぶ。

大勢で行くと上手く行かない気がしたので、近藤が単独でボランティアセンターに乗り込む。さきの可愛らしい人と交渉するためだ。けして電話番号を訊くためではない。

雨の車内で待つこと15分。その間、僕は疲れた目を閉じ、車の中でラジオに耳を傾ける。十日町では明日の正午で避難勧告が解除されるという。大胆な首長さんだと思ったが、そうした方が早く復興に取り組めるのも事実。神戸の場合、避難勧告があろうがなかろうが復興に向かっていったような記憶があるが、よく覚えていない。

近藤が車に戻ってくる。
「片貝は小千谷市だから、ここ越路町からは物資を持っていけないってさ」
こんなに近いのに。行政とはこういう組織なのである。ここには牛乳があるのに。まあ数が少ないのでどうしようもないのだろう。非難はできない。

ただその夜、小千谷市と越路町でこの件について協議がもたれることになった。もともと予定されていた協議だったのかも知れないが、問題提起にはなったと思う。おつかれ、近藤。

■30日(夜)十日町小学校
近藤の指示で十日町小学校へ向かう。ここは長岡市・岡南(こうなん)地区の十日町であり、
小千谷の南方にある十日町市ではない。たまたま名前が一緒なだけ。

すっかり夜になり、小学校では食料の配給が行われていた。みな学校に来て袋一杯に何かを持って帰る。避難者もわらわらと食料を取りに行く。かなり活気に溢れていた。新聞もタダ、電話もタダ。
僕らはさっきの片貝小学校でダメージを受けていたが、近藤だけは強かった。避難所のリーダーらしきオバサンを掴まえて、交渉を始める。

やがてオバサンたちが数名、避難所から出てきて我らの車にやって来る。
「チャッカマンないかしら? ライターはあるんだけど点けにくくて。
 あと、電池。それから、お箸」
ほとんどの物は、すでに他の避難所に渡してしまっていた。
「そう……あんまりないのねえ……」
女性が多いせいか台所用品のニーズがある。めげる俺達……。

しかしそんな近藤の交渉を見て、興味を持った人物がいた。朝日新聞の若手記者である。近藤、しばしインタビューを受ける。ついでに僕も受ける。
しかしまあ、彼は今日被災地に入ったばかりだったので、我々のようなボランティアが物珍しかっただけだろう。きっと記事にはならないと思われ。名古屋支社からのヘルプだったみたいだし。

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