■30日(夕方前)片貝スポーツセンター

懸念していた渋滞はなく、細い道をくぐり抜けて片貝のスポーツセンターへ。スポーツセンターと聞くと立派な建物をイメージするが、実際は片貝中学の旧校舎で、一棟が物寂しく建っているだけだ。残念ながら写真はない。小さな駐車場へ車を停める。一人の女性が赤子を抱いて表に出ていた。彼女の陰鬱な表情が目に焼き付く。
車の音を聞きつけてか、中からオジサンたちが出てくる。
「ボランティアです。東京から救援物資を持ってきました」
「は?」
みたいな反応。

「僕ら長岡出身で、この3人は神戸出身なんです」
そう近藤が自己紹介すると、パッと向こうの顔から警戒心が消える。
「何がある?」
「好きなもん、持ってって下さい」
とリストを見せる。
「まあ別にこれといって困ってないけどね」
避難所生活は事足りているかに見えた。
が……。

避難所の中を見せてもらい、僕らは唖然とした。
そこは体育館のように見えたが、床は土混じりの土間だった。
照明も点かず、薄暗い。
「昔は板敷きだったんだが、湿気で腐ってね。今はこう……」
内部にはテニスコートが一面だけ。床は人工マット風なコンクリートと土。土……。
その上に直接布団を敷き、20名ほどが暮らしていた。
「寒いよお?」
と冗談交じりに言うが、それはそうだろう。
さっそくスチロール性の床敷きマット全部と毛布を一部渡す。

トイレは先日来たばかりだそうだ。入口にはヤカンが2つ七輪にかけられていた。ラジオが鳴っていたが誰も聞いていなかった。聞けば情報が入るのに……。
中学生が4、5人わらわらと集まってくる。表情は明るいが、みな頭髪が脂ぎっていた。
「風呂に入られないから」
石鹸やシャンプーを渡すと、「どうやって使う?」と相談している。
この地域は水もガスも出ないのだ。
そこで、我が母からの物資「水の要らないシャンプー」を渡すと飛び上がって喜ぶ。さすがは神戸からの救援物資である。
「ここは同じ田んぼを耕す仲間でな」
だから他の大きな避難所に行かないのだろうか。ここには電話もないというのに。

さらに物資を渡そうとすると、
「いえいえ、ここだけじゃなくて他にも回して下さい」
と遠慮される。
「どこか他に困ってる所知ってますか?」
「隣は行きました?」
見上げると、高校のような建物が。
「あっちは使ってない。そこはグランドのど真ん中に馬鹿でかい亀裂が入ってるからね」
隣とは、すぐ右側に見える片貝小学校(右写真)のことだった。


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