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■30日11時頃 被災地入り
東京から直線距離で250キロ、普段なら3時間半を10時間かかって到着。信濃川を川西地区から川東地区へと渡り、米百俵の国、長岡の市街地へ入る。まずはカワちゃんの実家へ。
理容室を営むカワちゃん家。3階建ての窓ガラスも割れておらず、家族も元気そうであった。よかった。神戸と違って周りの建物も垂直だし道路も歪んでないので一見平和そうに見える。
が、すぐ近くが市役所で、避難民が多く車がたくさん停まっている。そして理容室の目の前の建物も避難所になっていた。自衛隊の炊き出しマシーン(右下)やゴミが目立つ。ここは間違いなく被災地である。
カワちゃんを実家に残し、すぐ近所の近藤家へ。宮内駅と長岡駅の中間にある3階建ての立派な家だった。この辺は雪が積もるからか、一階にガレージ、2〜3階が居住スペースな家が多い。道路にもスプリンクラーが埋められている。溶雪パイプと言うらしい。近藤家はご両親、妹さん、お祖母ちゃんも元気。
やっと会えて当人も一安心か。我が家なら抱き合っ ていたことだろう。
近藤家の前にある草むらに車を停めて、荷物を一旦全て車外へ出す。
「当日はこの空き地にみんなで集まったんですよ」
近藤妹が言う。
「そこの非常灯だけが点いてて、それを頼りに。
でも非常灯も一時間で消えるし……。余震も恐いし寒いし……」
あの恐怖を味わった者だけが見せる、まるでうまく笑えないような独特の表情で家族が僕に語りかけてくる。
「必死で部屋を片づけた。でも、地震数日後に起きた大きな余震で何もかもがまたひっくり返った。あれでこの辺の人はみんな気力をなくした」
今回の地震の特徴である。
持ってきた荷物を全部外に出し終わる。仕分けされていない物をすべて分け、いくつあるか数を記入する。家を出る直前に思いつきで手に取ったクリップボードが役に立つ。
懐中電灯、乾電池、ラジオ、コンロ、ボンベ、毛布、下着、Tシャツ、防寒着、薬、カイロ、歯ブラシ、ヒゲ剃り、下敷きマット、鉛筆、袋、石鹸、洗剤、ありとあらゆる物資が草むらに広がる。
突然イヌイが叫び出す。
「誰や、こんな使ったパンツ提供してきたヤツは」
「ごめん、それオレの着替え……」と近藤。
近藤が持ってきた手荷物まで仕分けてしまっていた。
種類別に物資を箱や袋に分け入れ、また車に積み込む。
さて……これらをどうしようか。
実際に被災地に入ってみて、僕らは戸惑い始める。何をすべきか。何が最優先で、何が最も有効な手だてなのか。とにかく情報が足りない。
近藤が友人に電話をかけまくり、情報収集。僕もカーラジオを貪り聴く。FM76.4MHzで震災・復興情報が常に流れている。何とも懐かしい。神戸のフェニックス放送局を思い出す。しかしこんなラジオがすぐに立ち上がるなんて、早いなあと思う。まあ当時で言ってみれば、AM神戸の震災報道とか毎日放送(MBSラジオ)が担っていた部分か。それにしても自衛隊も炊き出しも風呂も避難所も、何もかもが神戸の時より格段に早い。
ところでこのラジオ、女性がずっとひっきりなしに原稿を読むだけなのだが、この女性がよくつっかえて、しょっちゅう噛む。ま、緊急なので仕方あるまい。ろくな原稿もないであろう中、毎日一日中喋りまくって、おつかれ様です。このラジオ、本当に有効です。ボランティアで行く人も、被災者の方もみなさんぜひ聴いて下さい。細かい情報はテレビには流れません。
その後、近藤家(左)で昼食をよばれる。被災地で被災者の方に食事をよばれるのはボランティアとして最低の行為だが、あまりに美味しそうだったのでお言葉に甘えることにする。
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