|
■30日(早朝)迂回路
谷川岳を抜け、10kmもある関越トンネルをくぐり、ガーラも越えて石打塩沢SAに(右写真)。関越道では最後の休憩場所(※11月5日にようやく関越道全線開通)。
だだっ広いパーキングには、金沢から来たという消防隊がかなりの人数いる。消防車も救急車もズラーッと並ぶ。これから被災地に向かうボランティアが集結しているのだ。他のSAと違って活気がある。
とりあえず新潟の地図を買う(ここまで来ないと売ってない?)。これも後で役に立った。
あけぼの、山の端がやうやう白くなってきたので、出発。
あっという間に六日町インターへ。あらかじめ近藤が買っておいた1万500円分のハイウェイカードを、料金所のおっちゃんに差し出す。
すると……、
「お金要らないよ」
「え?」
「救援物資、運んでくれてるんでしょ? そういう車はタダでいいよ」
「ありがとうございます!」
「こちらこそ、ありがとう」
料金所のおっちゃんは、笑顔で僕らにそう言ってのけた。カードは無駄になったが、何か得体の知れない感情を手に入れることができた(クレジットカードのCMではない)。
料金所を出た途端、警察の検問が待ち構える。検問と言っても、僕らは怪しまれない。ここでも「救援物資」の紙が役に立ったわけだ。
「長岡行くの? あっちから迂回だね」
「はい。どれくらいかかりますか」
「この道だけは行ったことがないから、分からないね」
それほど危険な道なのか? とにかく行こう。
六日町SAから見て、被災地は真北に位置する。が、迂回路の国道253号線で真西へ。かなり西へ。ずっと西へ。被災地の最南端、十日町を通り抜ける。十日町では、各所で道路が寸断され、通行止めをかわしながらさらに西へ。所々、陥没した道路が新しいアスファルトで舗装してある。
あまりに早い応急処置に度肝を抜かれる。しかしこの処置がなければ、我々のようなアマチュアはいつまで経っても被災地に入れないでいただろう。
僕は運転を代わってもらい少し眠る。が、興奮していてなかなか眠れない。
今度は国道353号線で真北へ。
しかし、すれ違う車に不審な目で見られる。「救援物資」の張り紙が目立つのか? さらに何度も何度も不審な目で見られる。ふと、あることに気が付く近藤。
「あ、逆に進んでた」
慌ててUターン。正しい道へ入る。いざ、真北へ。
国道353号線(途中まで253号線の名を語る)。これがチョーー危険な道路。国道とは名ばかりで、一本道、ガードレールなし、たまに舗装なし、道幅ゲキ狭、上下・左右にうねりまくる、まるでアニメのような山道。カーナビの矢印すらもあまりの動きについて来られず、狂い始める。
僕も酔い始めたので必死で寝る。
文字通り紆余曲折あって、とうとう日本海に出る。柏崎だ。被災地から少し離れてるだけだが、のんびりしている。コンビニのコに、
「地震どうやった?」と聞く。
「別に?」と答えられる。
刷りたての新潟日報と毎日新聞を買って情報収集。こういう時は地元紙と震災経験紙に限る、なんて思ってる。新潟専用のタウン誌も発見。新潟こまちはラーメン特集。腹が減る。すっかり朝である。コーヒーを一口。
「被災地に入れば、コーヒーなんて飲めないからな」
なんて言いながら、被災地で僕らが食べる用のメシを買い込もうとする。と、
「どうやら長岡はコンビニもやってるらしい」との情報が舞い込む。
「え? ウソやろ?」と半信半疑なオレ。
しかし結局手ぶらで出発。国道8号で一気に長岡に向かう。
途中で電光掲示板に下記の表示。
通行止め
和南津トンネル
迂回路なし
川口町が孤立していることを物語っていた。
|